
満州国切手の買取り
満州国とは、1932~1945年の間に存在した国家です。満州国は日本の強い影響下にあり、傀儡政権と呼ばれたりもしています。中国では、過去から現代にかけて満州国を国とは認めていないのが特徴です。それは、満州国の郵便制度にも見る事ができます。満州国建国以前の郵便事業は中華郵政(中華民国の国家機関)が行っています。
1932年の建国を迎え、郵便事業を接収する予定でしたが、中華民国交通部は全面閉鎖を宣言しました。
そのため、中華郵政の撤退後に設備・人材等を接収し「満州国郵政」を開始したのです。
満州国初の切手
1932年 満州国発の発行切手
満州国最初の切手のデザインは「遼陽の白塔」です。原画は東京の逓信博物館の吉田豊を中心に進められています。
関東軍司令官・本庄繁らの承認を得て採用されたのが「遼陽の白塔」「溥儀の肖像」でした。溥儀の肖像は、状態によっては20,000円を超える金額で買取りがされています。
中華民国との共通切手
中華郵政は、満州国を国として認めていなかったため、満州国の切手は無効としています。満州から送られた郵便物は郵便料金未納として扱われていました。このような対応をとったのは中華郵政のみで、他の国では満州国切手の流通を許可しています。これは満州国を国とみていたためではなく、日本の占領地として発行された切手と認識されていたからです。
1933年 日本と中華民国の間に停戦協定が締結します。それにより、当時の中華民国は満州国の存在を一時的にですが追認しています。
1934年 中華民国と満州国の間に郵便物交換に対する「満華通郵協定」が成立し郵便物の交流が再開されました。
郵便物の交流条件
・「満州国」と言う国名を利用しない
・消印には満州国独自の年号を利用しない
・消印の地名にも満州国独自のものは利用しない。
このような取り決めの元で、郵便事業の再開が開始されました。
中華民国の要望通り「満州国」の国名がなく「郵政」のみの明記になっています。
しかし、このデザインには満州国の国章とされる蘭花紋章が描かれています。
このほかにも「満州帝国郵政」の文字が透かしで入った切手も発行されています。
切手にも満州国の意地が通されているようです。
満州国と日本の繋がりを表す切手達
満州国設立から崩壊まで13年の間に発行された切手は、記念切手を含め160種類を超えています。
その中には、日本との政治的つながりを表すものも少なくありませんでした。
1940年発行
日本の神武紀元2600年にあわせ満洲国が発行した切手です。「日本・満州一体」をスローガンとしてデザインされています。
1944年発行
このように日本語表記の切手もあります。満州切手の買取り価格は、一部を除きペアで数百円程度のものが多いです。