軍事切手の買取り
軍事切手とは
1910(明治43年)~1931年(昭和6年)の間に発行されていた切手の1つです。戦時中という特殊な状況下で戦地の兵士宛もしくは戦地から自国宛に使われた郵便切手のことを言います。戦時中、軍の管理下には軍事郵便制度と言うものがありました。
これは日本だけではなく、各国共通の制度と言えます。戦地と自国で郵便をやりとりする場合は一部無料で行われていたのですが、郵便の利用には制限があり、軍事切手の支給枚数が定められていたのです。
中国や朝鮮半島、南方諸島に駐留していた大日本帝国陸海軍の下士官兵に1か月に2枚支給されていました。切手のデザインは、普通切手の中央に、軍事と印刷されています。
田沢型旧大正毛紙3銭
偽造防止の透かしが初めて取り入れられたものです。こちらは、10万以上で買取りをしている買取り店が存在します。
臨時に発行された青島軍事切手
軍事切手には、切手の配布が間に合わず現地(中国山東半島)で印刷された臨時の軍事切手があります。1921年4月に発行された青島軍事切手です。使用済消印には、青島、坊子、高密、張店鉄山、青島済南間が確認されています。
臨時切手は正式な軍事切手到着後に利用が停止されているため、希少価値が非常に高いです。
未使用評価は、160万円
使用済評価は、 80万円の価格が付いたこともあります。しかし、未使用の通常切手に軍事と印刷するだけで、値打ちが出るため青島軍事切手の偽物は大量に出回っているのが現状です。
そのため、青島軍事切手は封筒に張られた状態のものが最も価値が高いとされています。
使用封筒と一緒になった状態のものは250万円の評価が付いた事もあったのです。
このほかにも「菊軍事切手」が、高い価値を持つとされています。
青島軍事切手の流通
軍事切手は一般的に利用されていなかったため、所持者は非常に少ないです。所持者は、実際に軍事切手を利用した手紙を保存していた人またはコレクターに限られています。
発行当時、切手コレクターの集まりである「郵楽会」のメンバーが非常に苦労して手に入れています。「郵楽会」のメンバーである特務曹長が、未使用切手の残りがあれば欲しいと権力を活用し75枚の青島軍事切手を集めたのです。
75枚の青島軍事切手は、特務曹長の手から1件1件記録を残し譲渡を希望する「郵楽会」のメンバーに譲られました。それほど希少性が高いため、本物の流通はほとんど無く、希少性も高いですが歴史的な価値も、非常に高いと言えます。